花マルブログ

学校の休校で思うこと



学校の休校に伴って、学校に行かない間の子供たちの学力低下が叫ばれています。
しかし、本当に子供は学校に行かなければ勉強をしないのでしょうか。私は、そうは思いません。

なぜなら、子供たちは本来知的好奇心に溢れた生き物であるからです。学校で習う前から、字を読みたいと思えば「これは、なんて読むの?」と聞きに来ます。
図工の時間がなくても上手に絵を描くことができるし、体育の授業をうけるずっと前から子供たちは自分たちで体を動かして運動をしています。
本来、授業を受けようが、受けまいが、子供たちはいつだって学んでいるのです。

 そして、そんな子供たちを学ばない子供にしてしまったのは、子供たちではなく、子供たちの取り巻く大人や環境に責任があるのではないか、と私は考えます。
学校というのは、とても素晴らしい場所であることには間違いありません。6歳になると、どんな子供達でも一律に学校に行くことができ、平等に学習をすることができます。こういった場所があることで救われる子供たちがたくさんいるのは間違いないでしょう。

 しかし、学校に行かせた大人たちはどうでしょうか。授業から学ぶのが当たり前である学校に行かせることで、本来子供たちが自然と持っていた知的好奇心に見て見ぬふりをしてしまってはいないでしょうか。そういった自然にあふれてくる知的好奇心を、大人が大切にせず、ないがしろにしてきたつけが、今の子供たちの学習へと向かう態度に表れているのではないかと、私は思えてならないのです。

 教師は「子供は授業を黙って受けるものだ」と期待して授業をします。子供たちは素直ですから、その期待に応えるためにも、どんなにつまらない授業であっても、静かに授業を受け、やれと言われたことにも従います。そんな素直な子供たちの姿に甘えて、教師は授業をしてきたのかもしれません。それが、子供たちの本当にやりたいことや、知りたいことであるかどうかを考えなくても授業を行うことができます。しかし、今思えばそれは大人が抱いた期待の押し付けなのかもしれません。

 だから、こうやって授業ができなくなると子供たちは机に向かわなくなってしまうのではないでしょうか。これは、本当に子供だけに問題があるのでしょうか。
すべての先生が期待を押し付けてきたとは思いません。子供の知的好奇心を大事に育てている大人もたくさんいるでしょう。しかし、この休校措置をきっかけに、大人の私たちの行動を改めて考えてみてもよいのではないかと思います。


 子供たちの声を聞いてみると、必ずしも全ての子供たちが休校を手放しに喜んでいるわけではありません。
「勉強が遅れていってしまうのが不安だ」
「自習しろと言われてもやり方がわからない」

というように、学校がなく、勉強ができないことに漠然とした不安を抱えている子供たちがいるのです。
しかしやはり、やることがないので、どうしてもYou Tubeやゲームで時間をつぶしてしまう子供たちが多くいるのではないでしょうか。

 しかし、ここで一度考え方を変えてみましょう。学校から登校するな、と言われる経験など、今後一生ないかもしれません。
子供たちは今、たくさんの人が羨むほどたくさんの、自由に使える時間を持っています。本来日常のなかで得られるたくさんの何気ない経験を
今子供たちはすることができませんが、この自由時間はこの異常事態だからこそ、子供たちが得ることのできた貴重な時間なのかもしれません。

 だからこそ、この時間を子供たちに知的好奇心を思い出させる時間にできるよう、大人の私たちが全力を挙げるべきなのではないでしょうか。

 私も花マル塾の講師として、改めて、
子供たちが「学びたい!」「知りたい!」「楽しい!」と思ってもらえるような授業を考えていかなければならないと思います。

 だから、みなさんも子供たちの知的好奇心を信じて、何か行動を起こしてみませんか。


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